私は原爆投下後18年たった広島に生まれたのだな、ということを今年はしみじみと思った8月6日でした。
これといった大きな病気もせず、子供二人もまた、これといった大きな病気をすることなく元気に育ちました。


広島で生まれたといっても、2歳くらいまででそのときの記憶はなく、小学5年生の夏休みにふたたび広島に住むことになり、中学2年生の終わりまでいたその広島が、私の記憶の広島なのでした。
そのころ通っていた書道塾の先生だった那須正幹さんから戦後の広島を舞台にした三部作を送っていただきした。
心して読まねば。


福島を訪ねたときに、小学生から僕たちは三十歳までしか生きられないと思っていましたが、被爆した那須先生がこんなに長く元気でいるので勇気がでました、と話したということをお聞きして、胸がしめつけられました。