書評のための本を読んだり、買ったり、各種連絡事項ととある練習。

移動と休養。

ことごとく記録に残らない一日。


タイルの敷き詰められた遊歩道を歩きながら、昔から存在感が薄く、何十人も人のいるクラスの中では真っ先に忘れ去られられるようなこの私という人物は、実はとっくにこの世の人間ではないのに、つまり幽霊なのに、しょうがないか、という感じでみんなに大目に見てもらって、いろいろな場面に存在させてもらっているのではないかと思う。

果たしてもらえない約束がときどき生じるのも、それが原因かも、と思う一方、今ひそかにはまっている『鈴木先生』を知人でキャスティングする、ということを考えたりしました。
「中学生」とひとくくりにされる人の一クラスを細かく見れば、みなそれぞれ違っていてほんとにバラバラな個性であることよ。


・お客さんの顔して座っているれど知ってるあたしもう生きてない         東直子「短歌研究」2010年10月号