今日、布施直生さんの娘さんからお手紙をいただきました。
布施さんは、私の地元で開いていた「ぷらむ短歌会」の会員でした。
2000年4月の発足から2005年10月に閉じるまで、ずっと熱心に通ってくださっていた、大切な歌仲間です。
今年の年賀状で、娘さんのところにいるということをお知らせくださった数ヶ月後に、その娘さんからの訃報のお葉書を受け取ることになってしまいました。
布施さんは、作品も、人柄も、ほんとうにかわいらしい方で、尊敬と思慕の念を抱いていました。
ほんとうに残念でなりませんでした。
追悼のお手紙を娘さん宛てに出しましたら、今日、とても丁寧な長いお手紙をいただいたのです。やわらかな手書き文字の、誠実な、やさしい手紙。
合同歌集の歌のページのコピーを、病気で伏されてたいた布団の中で大事にながめておられたということです。


 自らを耕すように草を喰む羊は群れているにはあらず  布施直生



この歌にだけマルをつけておられたとのこと。やさしい作風の布施さんの中に通っていた芯の強さや決意を、この歌が語っているような気がしました。

いつも花柄のかわいいスカーフを首に巻いておられて、はにかんだような笑顔で、短歌の仲間ができてうれしい、とおっしゃっていたことが、忘れられません。緑あふれる多摩の地を愛しておられて、花盛りのすてきな公園に誘っていただいたこともありました。
私の事情で会を続けられなくなり、いろいろ本当に申しわけなく思っていたのですが、その後有志の方が続けてくださり布施さんも参加されていたそうです。
なんのために短歌を詠むのか、ときに分からなくってしまうこともありますが、最終的には、個人のこころのよりどころとして、この形が力を貸してくれるのかもしれない、と思ったりします。
私が好きな布施さんの歌を書き写して、心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。


 多摩川に水辺の草をたずねゆけばかわらさいこの黄が群れ咲きぬ   布施直生
 ときどきはわたしの胸にきて歌うペルー生まれの絵皿の小鳥       〃
 穂すすきの原はかすかな風にゆれ あ こんにちは あ さようなら   〃
 つながれた犬とみている秋の空ひとりといっぴきおなじ目をして     〃
 えのころのころころと鳴る坂道に夫のピケ帽おちていないか       〃
 かさかさと造り花鳴る駅前の小路を父の幻がゆく            〃
 粧いの母の笑顔がふと翳る文目模様のあやめ咲くころ          〃
 まだ生れぬ者たちといる落葉の明るむ森にただ立っている        〃
 在ることを悲しんでいる風が吹くごうごうと鳴る春のひと日を      〃