歌葉受賞式&シンポジウム

昨日は、第5回にして最後の歌葉新人賞の授賞式でした。
受賞は廣西昌也 さん。おめでとうございます。


・いつからが父の夕暮れ右肺の半分がもう水面下なり
・病窓に下界を見れば辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ
・「発車オーライ、発車オーライ」まぼろしの駅で背筋を伸ばしいる父
・孑々がバケツに踊る大いなる影が地にさし孑々も消ゆ
・ぼろぼろになった骨片無秩序な増殖による変形が見ゆ
・焼いてきた帰りに見えて美しき無人販売所の新キャベツ
 (受賞作「末期の夢」より)


 父の死の前後の現実と回想と幻想がゆるやかに繋がる一連は、とても完成度の高いと思います。


授賞式ののち、「新人」についての鼎談&シンポジウム。


 全体的に2000年以降の新人の個性の弱さのようなものが問題点としてあげられた中、穂村弘さんが、しきりに歌壇(短歌の伝統をつぐ世界)とそこには入らないもの、そしてその境界を分類し、如何に歌人として残っていくかを啓蒙的に熱く語っていたのが印象的でした。実際には「イン」「アウト」「ボーダー」という言葉を駆使して端的に語っていたのですが。


私が会場からちょっとだけ発言した件で「誤解ですね」と誤解されたままだった気がするので、発言再現。
「新人というのは、新しい作品を作る人のことで、年齢やキャリアに関わらず新しいものを打ち出す気概が必要なのでなないか」
 いずれにしても一般論にすぎない、大した意見ではなかった。
 わたしも迷いの中をさすらっているのである。
 とにかく、価値観は一人一人ちがうもので、それぞれの感受性は尊重せねばならないが、しかし、既成の価値観を一通り通過した上で新しい価値を見いだしていかなくてはならない、という意見は一致していたのではないかな。
という意味で広西さんの作品は、その芽のある作品ではないかとあらためて思ったことでした。