優子さんのお通夜

中学一年生のときからの友人のお通夜に行ってきました。
ほんとうにほんとうに突然のことで、知らせを受けてから何日もたつのに、旦那さんからいただいた電話は、悪い夢の電話なのではと思いながら式場に行き、でも式場に掲示された名前を見た途端、やっぱりほんとうなのだ、と思って、涙がぽろぽろあふれてしまいました。
式場につくと、日用品や、家族との写真などがいくつも飾られていて、まごころのこもった会場の中で、どうしようもなく泣いてしまいました。
亡くなる2時間前の、スキーをしている写真。
スキー場で、突然心臓麻痺が起こり、そのまま帰らぬ人となったそうです。
小学生と中学生のお子さんたち3人を残していってしまうなんて、どんなに無念だったことか。
小学6年生の娘さんは、出会ったころの優子さんにそっくりで。


広島の中学校で、転校生同士として出会って、それぞれ引っ越してしまうことになったのだけど、手紙や年賀状のやりとりは続けていて、大学生のときは彼女の家に泊まり行ったのでした。そのときにお母さんが出してくれたビーフシチューの大切りの人参が皮つきだったことや、彼氏と観た映画について話している最中に薬局の店先に売りに出てたマニキュアを2つすばやく買っていたこととか、彼女の仕事先(ILO)近くでランチをしたイタリアンレストランで、「辛いのとチーズください」と頼んでいたことなど、そんな、どうでもいいようなことばかり、鮮明に思い出されてしかたがない。
中学のとき、病気で一ヶ月くらい休んでいたのに、復帰してすぐに受けた数学のテストがクラスでいちばんで、驚いたことをおぼえています。
とにかく優秀な人だったけれど、おっとりといつもにこにこ笑っている顔しか記憶にない。繊細なところもあったから、悩みごとのようなことを話してくれたこともあったけど、そのときも、いつもの笑顔を浮かべていました。
だから、優子さんは、目を細めてわらっている顔しか、私の記憶にはありません。
式場に飾ってあるたくさんの写真も、みんなその笑顔でした。


受け取ったばかりの年賀状の最後の「ぜひ お会いしましょう」という手書きの文字が悲しくてしかたがない。でも、この世に年賀状があって、よかった、と、はじめて心の底から思いました。
思春期に出会って、そのとき心を通わせあった、私にとって、たった一人の人でした。


心よりご冥福をお祈り申し上げます。