曇のち雨のち曇
ひぐらしひなつさんの歌集『きりんのうた。』の批評会へ。
打ちあわせ場所の東京ドーム横のラクーアを目指し、水道橋東口で降りる。中の地図で確認しながら15分程蒸し暑い中を歩き、ついたところは、なぜか水道橋西口……。な、なぜっ。ふたたび同じ場所にひきかえし、なんとかラクーアに到着。
東さん体調悪いんだって、と荻原さんたちに心配されてしまう。いえ、もう頭痛は、なおってるんです。ご心配おかけしました。
大分県からお越しの作者、ひぐらしひなつさんはキュートなチャイニーズ・ドールのよう。
批評会は東京ドームを貸し切りで、というわけではなく、となりにある文京シビックホールにて。
荻原裕幸さんが司会で、江戸雪さん、斉藤斎藤さん、藤原龍一郎さんと私とで、それぞれ問題提起をしたあと、ディスカッションなどをした。とても話しやすいメンバーで、遠慮なく意見交換ができて、楽しかった。
共通の着目点として作者の個人情報を歌に出さない匿名での作歌があがった。斉藤斎藤氏が匿名で書いているが、どこかで本人の姿を出したがっている「匿名希望」的なスタンスではないかという予測をうちたてていて、興味深かった。今短歌を作っている人の過半数が、あからさまには人生を描きたくないが、しかし、という感じのこの匿名希望的スタンスなのではないかと思うのだった。
ひぐらしさんの歌は、胸の奥底にある強い痛みを、あえてあいまいな言葉でやわらかく縒るように作っているのではないかとあらためて思う。
骨と骨つないでたどるゆるやかにともにこわれてゆく約束を ひぐらしひなつ
泣きやんでつがいの鳥の青白い胸をあわせて空へ放した 〃
明日ここを去りゆくひとが首のうらがわにひっそり飼う夜の蝉 〃
スニーカーひとり洗えば午後二時のバスルームへとこぼれだす海 〃
「背、高いね」「いちど死んでるからかもね」肘ふれあって波ばかり見ている 〃
2次会はアジアン・キッチンにて。さとりえは今日もおいしそうにナシゴレンを食べていた。